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Learning by Playing: AI時代における「感覚教育」の重要性

これまでのTOPICSにおいても触れてきた、21世紀に必要なスキル(生きる力)。正解のない未来に解を出す「論理的思考力」や、コンピュータがどのように動くのかを理解する「ITリテラシー」、それに何かを生み出す「創造力」。そのほか、「STEAM」教育や「非認知スキル」などの21世紀を生き抜くための新しいスキルや教育へのシフトが、教育に求められている変化だ。

 AIというトピックスには、我々の生活を向上させ利益をもたらすという楽観的視点と、人間の仕事を奪い存在意義を消滅させるという悲観的視点がしばしばぶつかる。ただ確実なことは、これまでの産業構造や生活が大きく変わることと、それがどの程度のインパクトでいつ起こるのかまだ確実にはわからないということ。

よってあまり極論に走るべきではない。しかしながらやはりこのAI時代には、I Tリテラシーを教養として採り入れ、21世紀型スキル教育へのシフトは必須であることは、確実だ。

AI時代には、人間にしかできないこと=「創造力」を育成することが重要だ。つまりこれまで我々が受けてきた教育が重要視していた「計算」や「暗記」は、AIが物凄いスピードと量で圧倒するので、我々はそれを指一本スライドさせるだけでいい。その反面、我々人間の重要な役割とは、「創造力」や「直感力」などを駆使するスキルだ。

創造力」や「直感力」を育む

経営の神様と言われる松下幸之助さんの言葉に「カンと科学は車の両輪」というものがある。原因から結果を導いたり、情報を積み上げて仮説を立てるなどの論理性と、そういうプロセスを踏まない直感という感覚を対立的に捉えず、双方を効果的に融合するということだ。

松下さんは、論理的思考から生み出された訳ではない発想=「カン」を打ち消す合理性がないなら、その「カン」を活かせと言われたようだ。

 

気をつけなければいけないのは、「カン」とは適当に言い当てることではない。様々な思考力を育むことで得られる感覚であり、集中的にある分野のことを、あるいは総合横断的に様々なことを体験(実験的思考という創造的なトライ&エラー)することで得られる感覚と言える。つまり、訓練することができるのだ。直感力は今ちょっとしたブームのようで、様々なビジネス本や心理学的知見からの本も多い。ですので、ここではその根元である「感覚」について考察したい。

感覚教育」とは

「感覚教育」と言えば、モンテッソーリ教育があまりにも有名だ。モンテッソーリ教育とは、医師であり教育家であったマリア・モンテッソーリ博士が考案した教育法で、世界で偉業を成し遂げている有名人を多く輩出していることで知られる。
古くはアンネ・フランクやピーター・ドラッカーなどがおり、昨今ではGoogle創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Amazonのジェフ・ベゾス、Facebookの者マーク・ザッカーバーグ、マイクロソフトのビル・ゲイツ、Wikipediaのジミー・ウェールズ、日本では藤井聡太さんなどがモンテッソーリ教育を受けていた。

モンテッソーリは言う。「感覚、それは世界への入り口。人間は、世界を知るための第一歩 を自分の感覚で感じることから始める」と。 「感覚」は、思考に先行して子どもの脳に刻み込まれ、考えたり、創ったりする行動の基礎となるのだ。

ここで言う感覚とは、

視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚の5つを言う。

我々が認識している、まさに五感のことだ。

この5つを最初に挙げた人は、古代の哲学者アリストテレスだ。

我々は現代に至るまで疑いもなくこの“五感説”を受け入れ、まるで他の感覚が存在しないかのように生きるに至った。

しかし、我々の持つ「内部感覚」は実に繊細で細分化され、多くの機能を有する。

「内部感覚」

「内部感覚」は、私たちの体内で起こる変化を感知する器官と言える。体内時計は時間の経過を感知し、腹時計は時計がなくても空腹を知らせる。喉の渇きを知らせ、1日の終わりには疲労や眠気を伝える。耳には聴覚以外にも、重力,加速,回転に反応する平衡感覚(前庭覚)があり、位置覚や運動覚は四肢の空間的位置の認識や目を閉じていてもその動きを把握する。皮膚感覚は直接的に触らないでも感知することだし、実際の触覚に至っては一括りにはできないほど極めて鋭敏な機能が備わっているという。人間の手は、髪の毛の直径の1/10以下の大きさの点であっても感知をすることがわかっている。このような驚くべき感受性は,各々の指先に約2,000の触覚受容器があるためだ。

我々は、これらの「感覚」を覚醒させることが大切だ。モンテッソーリが言うように思考や行動の源が感覚であるなら、我々を決定づけるのは「感覚」に意識的であるか否かによるとも言えるのではないか?

コンクリートや人工的な箱の中で暮らし、スマホの中から育まれるものとは何であろうか? 感覚器を総動員して野原を必要な力を配分してスピードを操りながら駆け回わり、バランス感覚で姿勢の高低をコントロールし木の枝を潜り溝を飛び越える。川の水の冷たさを感じ、川面の煌めきを目で捉え、木々のすれ合う囁きを耳で捉える。友達と共感し、笑い、泣き、歌う。豊かな「感覚」や「感情」を育むのは、スクリーンの中では得難いものなのだ。

「感情」はなんと2,185個にも分類できる

人間の「感情」をカウントした人がいる。カルフォルニア大学で、機械学習を学んでいる大学院生だ。人間の感情は<喜び・嫌悪・驚き・悲しみ・怒り・恐れ>の6つとされてきたが、簡単に言葉にできない「感情」も多いことを我々は知っている。時には音楽や絵画など芸術が、言語より雄弁であると感じるのはそのせいだろう。

彼の研究は、男女800人の感情分布の調査だ。そして人間の基本的な感情は27種類で構成されているということを発見したのだ。先の6つの感情以外にも「退屈」や「気まずい」「同情」「優越」などである。それらいくつかの組み合わせが感情を構成し、その総数はなんと「2,185」だという。

「感覚」や「感情」という非常に精緻で複雑なコトに如何に無意識であったかを知るが、これらを育むのは身体との連動作業やSTEAM教育でいうART(芸術)活動が期待できるだろう。人間は幾つになっても芸術を必要とし芸術は感性を豊かにしてくれるものだが、幼少期にはその重要性が非常に高い。読み聞かせや絵本と向き合うこと、絵を描くこと、音楽を聞くことやリズムで遊ぶこと、見立てる遊びや物語を紡ぐこと、自然のものを味わうこと、などなど。あらゆる体験を意識的に感じることが重要だ。全てはPLAYの中に存在する。